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たまねぎ畑での練習から国家代表へと

たまねぎ畑で一日中ボールを投げた。
腕が痛くなるくらい投げたところ、スライドを学ぶようになった。

田舎を出て都会に行った兄の友達は、
都会で高校野球の試合を見て、
休みの時に帰省して、野球を好きだった私に
都会の野球の人気について話してくれながら、
興味を誘発してくれたし、
当時、魔球と呼ばれていたスライドを教えてくれた。

その後、週末になると私はあちことの街で、
5キロ10キロ離れた街のチームとの試合が決まると
兄と一緒に自転車に乗ってあちこち故郷の山河を駆け巡った。
こんなに野球に狂って、田舎の田畑を駆け回っているのを
(その当時は野球場がなくて、田と畑で野球をしていた)

小学校の担任の先生が注意深く見守っていて、
エリート選手を目指してみよう、と勧めてきた。

その時から中学の野球部に入って野球を始めてから9年後に韓国代表選手となった。
本当に夢は必ず成される。
本当に努力すればかなう。

代表チームは1990年北京アジア大会に出て、銀メダルを取るようになった。

国家代表という私の人生、青春時代、しばしの間、名誉として輝くけれど、
永遠に私の胸の中に誇りと自負心として残って、
私を導いてくれ、人生のエネルギーになるようにしてくれている。

幼い時から、どのようなことをしても
繰返して挑戦する習慣と
勝利する習慣が必要だ。

そうしてこそ、その味を分かるから、持続的な
勝利と成就感を味わうことができ、
結局、成功の人生を生きることができる。
人生は果てしない挑戦の連続だ。
失敗して、また失敗しても
成されるまで挑戦だ。
挑戦する人生は美しい。

タマネギ畑で始めた
素朴なボール遊びをしていた田舎の子供が
国家を代表する選手となったから、
私自身が自分を見ても
大きな成功をしたと思える。

人生、大きな夢、大きな希望だ。
人生、心と思いと命を尽くして
挑戦するだけのことはある。

2016.9.30

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