今から26年前のことだ。
1990年の春
大学の野球選手として、夜明けから夜遅くまで
チーム練習をしながら、野球にはまって生きていた。
野球の練習も大変だったが、
先輩たちの殴打や宿舎生活で経験する、先輩たちを通して経験する侮辱感は、
私とって語ることのできない傷と喪失感を抱かせた。
自由になりたかった。
本当に辛い練習と息をすることができない団体生活から、本当に自由になりたかった。
夜明けや夜遅くに一人でグラウンドのベンチに座ってたくさん考えるようになった。
夜空の月を見て、明けの明星を眺めながら、
空に向けて心の中の深いところ、真実な私の心と対話した。自由に対する切実な渇望。
自由になりたい真実なもがきと絶叫。
私は歌った。
新しい日が来るだろう。
新しい日が来るだろう、とᆞᆞᆞ。
その頃、
野球部の一人の後輩を通して聖書を紹介された。
その日から聖書の勉強をすることになった。
小学校を卒業後、野球選手になってから、
勉強とは離れて生きてきたが、
聖書を通して人間の根本について学ぶようになり、
私が生まれた目的について学び、
真の自由とは?
野球部の宿舎から抜け出し、
楽で私がしたいことを自分勝手にするのではなく、
真理の中での自由というものを学ぶようになった。
野球選手が試合の中で、規定と規則を守り、ホームランを打った時
自由にグラウンドを回りながら歓呼して叫ぶように、
人生を生きながらも神様が人間を救おうと、この地上に送った中心者の御言葉を聞いて、
その御言葉を実践しながら生きていくとき、本当の人生の自由が与えられるということを悟るようになった。
今にして思えば
私の人生最高の出会いは、
聖書との出会いだったし、
聖書を通した、この地上の人間の多くの悩みや問題を解決してくれる本当の喜びと
栄光と愛と平和があふれる世界へ導いてくれる。
救い主との出会いが、私の人生で
最高の出会いだったということを告白したい。
人生を生きながら、私たちは数々の出会いと別れの中で
自分の人生の運命を左右する貴重な出会いを、
ただ風のように通り過ぎ、送ってはいないのか、
私は今日も考えてみる。