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夏から秋 亡くなった母のこと

2016年夏は実に暑くて大変な夏だった。
全国民が暑さと闘いながらもがき、寝むることができずに夜を送った。

私もやはり幼い少年野球選手らと
ともに、彼らの未来のために玉の汗を流し、夏と激しく戦った。
夏といえば、私の青春の最も情熱的に生きていた高校時代が浮かぶ。

その当時は夜明け、午前、午後、夜間まで1日4回、訓練をした。
その当時は選手たちが運動の最中、水を飲むと疲れてしまうといって水も飲ませてくれなかった。
しかし選手たちは、野球場の片隅にコーラのビンを隠しておいて、ボールが隠しておいたコーラのビンの方に転がって行ったら、銃弾のように駆けつけ、そのコーラを蜜のように飲んだ。

そんな私を見た母は、息子が暑い夏に苦労をしているといって、家では扇風機もつけないで、私と同じ心情で夏の間中、暑さを耐え忍び、子供と一緒に夏を過ごした。

母は2014年の秋に亡くなった。
東京に野球教室をしに行って来たら、
既に亡くなった後で
一生、私のために犠牲になった母との最後を共にすることができず、あまりにも残念であり、申し訳なかった。

もう冷たい風がそよそよ吹く秋になり、母と
最初で最後の旅行になった東京行きの飛行機の中での対話が思い出される。

母の言葉

私がお前を生んで、本当に嬉しかった。
何か分からないけれど、嬉しかったし、
今までお前は一度も私の言うことを拒絶しなかった。
そして私を失望させなかった。
と言って、ありがとう、息子よ…と 言った。

そして、先生はどうやってその場所で辛抱していらっしゃるのか、
神様が共にして下さらなければ一日も自分の精神では生きられないだろう。
と言って、先生のために毎日お祈りしていると言った。
私 (母親) が先生を信じて認めたから今も先生に従い、
40年間、信じてきた仏教を捨てきたのだと告白した。

母が亡くなった後、先生に
私と母との対話の内容を手紙で送り、
母が亡くなりましたと伝えたところ、

ミンホ母
亡くなられたんだね。
その霊魂は、引き上げられて、永遠だ。
と言って下さった。
本当に感謝した。

人生は二度なく、たったの一度だ。
一度の人生、創造目的通り
生きて死ぬのが、人間として最高の祝福であることを今日、今一度、深く悟る時間だ。

春は再び来ないと言った。
その方と共に
私の人生の9回裏に満塁ホームランの機会はまさに今だ。

2016.9.26

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